おかめやという屋号は、初代 (曾祖父) 亀治が「お多福の顔の様に笑顔で商売をして、

多くの人に愛されるように」という願いを込めて名づけました。敷居の高くない、

毎日食べても飽きのこない日常的な店を目指して長年商いを続けてきました。

二代目 (祖父) 光は昭和の初めに柳宗悦・河井寛二郎らが提唱した民芸運動の思想に共鳴し、

蕎麦屋を営むかたわら長年にわたり各地の工芸品・民芸品・骨董品等を収集してきたり、

野鳥・野草・昆虫に詳しく自然を愛する趣味人であったそうです。

そんな多方面に人脈がある粋でいなせな祖父は、当時子供だった私にとって憧れの存在でした。

そんな祖父を三代目 (父) 高志は陰ながら支えて、祖父、曾祖父の長年抱いてきた夢=戸建て店舗を構えるを叶えるべく、

平成10年に今の場所へ移転して来ました。その頃のおかめやは従業員25名を抱えて郊外の大型店として駐車場も広く、

ファミリー層や団体の宴会客などで賑わっていました。

6年前、平成23年の東日本大震災のときは、10数名居た従業員が家庭の都合で店を離れ、

90席あった店の一画の18席程度だけにお客様を入れて父と母二人で店を開け、商いを続けてきたそうです。

初代 (曾祖父) 亀治がつくった初代おかめやの店舗前での一枚。写真に写るのは親族一同と番頭さん。

一番前に座っているのが初代・亀治とその妻

写真にうつる小さい男の子は、二代目・光。

福島市内のお蕎麦屋さんが集まり、岡持ちをおこなう様子。

岡持ち (おかもち) とは、平たく浅い桶に持ち手と蓋がついたもののことで、出前などに使われます。

今はもうほとんど見られない当時のそば屋の出前スタイル。おかめやの法被を着たおじさま方がそばを高く掲げて自転車にまたがる姿は、なんとも勇ましくかっこいいものです。

東京で、ブラジルバンド「OPA」グループのギタリストとして活動しているおじさま・佐藤フジオの写真 (写真後列左、緑色のボーダー服を着用しているのがフジオ) 。

当時岳温泉にて開催されたサンバカーニバルの打ち上げを、おかめやにて行った際に撮影された1枚。サンバ同好会の仲間たちと共に楽しんでいる様子が伝わってきます。

おじさまは現在もギタリストとして活躍中です。

初代の店舗から移転した二代目の店内にて撮影された写真。写真に写るのは祖母。学校が終わった後は両親の帰りをよくこの店で待っていました。

祖母は天ぷら職人でした。人前に立つことよりも天ぷらを揚げる時間の方が長かったといいます。

お客さんと話したりしょっちゅう飲みに出かけたりと人脈が広く社交的だった祖父と性格は似ていたものの、陰ながらお店を支え続けていたそうです。

福島県福島市大町9-16

960- 8041

tel.024-503-9435

Order

11;30〜14:00Lo 

17:00〜21:00Lo

定休日:月・火

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