おかめやという屋号は、初代(曾祖父)亀治が「お多福の顔の様に笑顔で商売をして、
多くの人に愛されるように」という願いを込めて名づけました。敷居の高くない、
毎日食べても飽きのこない日常的な店を目指して長年商いを続けてきました。

初代(曾祖父)亀治がつくった初代おかめやの店舗前での一枚。写真に写るのは親族一同と番頭さん。

一番前に座っているのが初代・亀治とその妻
写真に映る小さい男の子は、二代目・光。

福島市内のお蕎麦屋さんが集まり、岡持ちをおこなう様子。
岡持ち(おかもち)とは、平たく浅い桶に持ち手と蓋がついたもののことで、出前などに使われます。

今はもうほとんど見られない時のそば屋の出前スタイル。
おかめやの法被を着たおじさま方がそばを高く掲げて自転車にまたがる姿は、なんとも勇ましくかっこいいものです。

東京で、ブラジルバンド「OPA」グループのギタリストとして活動している
おじさま・佐藤フジオの写真(写真後列左、緑色のボーダー服を着用しているのがフジオ)。

当時、岳温泉にて開催されたサンバカーニバルの打ち上げを、
おかめやにて行った際に撮影された1枚。サンバ同好会の仲間たちと共に楽しんでいる様子が伝わってきます。
おじさまは現在もギタリストとして活躍中です。

初代の店舗から移転した二代目の店内にて撮影された与臭。写臭に与るのは祖母。
字校が終わった後は両親の帰りをよくこの店で待っていました。

祖母は天ぷら職人でした。人前に立つことよりも天ぷらを揚げる時間の方が長かったといいます。

お客さんと話したりしょっちゅう飲みに出かけたりと人脈が広く社交的だった祖父と性格は似ていたものの、
陰ながらお店を支え続けていたそうです。